人の可能性を諦めない
インドで出会った彼も、地元のあいつも、誠実で不器用だった父も、多くの場所の制約のなかで生きている人を見てきた。その人には、その人なりの人生があるのに、客観的にそれをジャッジするのは違う気もする。
だけど、
"もっといい環境があるかもしれない"
という希望や期待はどうしても捨てることができなかった。
もっとカジュアルに新たな環境に出会えて、誰かと分かち合いそして繋がることができれば。
ずっとそんなことを考えながら10年間を過ごしてきた。
そんな自分にとってリモートワークやこの世界から場所の制約がなくなるパラダイムシフトは、自分が人生を懸けてやるべきテーマだと思った。
この世界から場所の制約をなくす
生まれた場所や国、住んでいる場所に関係なく、誰もが公平に機会にアクセスでき、生きがいを持って生きられる世界。
そんな美しい世界を夢見て、2019年8月にTeracyの開発に着手した。
人々が手を取り合い、共に創造し、心のつながりを感じられる世界。
次世代の働き方や、つながりのあり方をテクノロジーで再構築する必要性と、そして可能性を感じていた。
この時点で、言葉にはできなかったものの、「コネクテッド(つながっている状態)」を生み出すことの重要性を、直感的に理解していたように思う。
↓ 画像は2019年開発をはじめた当初。 創業メンバーの家の冷蔵庫に想い余って油性ペンで描いてしまった。(こすって消した笑)
ロングタームでやる
2019年6月頃、ソフトウェアをグローバルで普及させるには開発期間を含めて最短3年から5年を見ておくべきだと感じていた。もちろん開発だけにそんなに時間がかかるわけはない。
ただ、世界を変える仮説を見つけるためには、いくらかの遠回りは生まれるだろうと読んでいた。
Figma:PMFに4年
Notion:Notion 1.0までに3年程度
ピボット・チーム解散・京都移住
事実として、尊敬するソフトウェアは時間がかかっていた。
資金をなんとかする
そこでまず、外部からの資金調達をしない意思決定をした。
国内シード相場がその3-5年を耐えられるレンジではないからだ。
海外で調達することも当然考えたが、ソフトウェアをつくりはじめることをまずすぐにでも始めるべきだと直感的に感じていたので、違う事業でキャッシュをつくることにした。
後に売却する事業になったデザイン領域の事業をすぐに構想し、月に50件ほど営業商談を入れた。立ち上げ当月から売上500万、粗利250万程度を立て、そのキャッシュフローをもとに翌々月の2019年8月に開発を開始することになった。
恥を捨てて、気合いを出せばなんとでもなるものだ。(当時は1社目を譲渡した22歳の頃に発症した対人恐怖症が強く残っており、営業商談をするごとにクタクタになり、商談前には動悸がすごく、汗が溢れ出すような状況だった)
そしてこの時の派生系となる事業を切り出し、ゆくゆく上場企業へ売却し、その資金をさらにTeracyへ再投資していくことになる。
ある意味で「日本」という国で、ロングタームに挑む当時の一つの方法だったように感じる。
MVP構築
記憶が正しければ、8月中にはデモ版が完成していたはずだ。
社内でテストを重ね、一定の価値を感じつつも、今振り返ると、あらゆる面で未熟だった。
当時のプロダクトは、Discordの体験をより常時接続ネイティブにすることからテストした記憶がある
以下が当時のMVPである。もちろんデザインは適当だ。とにかく触れるものを1日でも早く作り上げた。Discordをより常時接続ネイティブに使えるものを作っていた。
そこから社内で毎日使う中で、これは少なくとも既存のツール選択肢の中でベストであるという判断に至った。すでに多くの類似プロダクトも2019年夏頃から出始めていたように思う。
十分勝負できるレベルだと感じていた。
そして、思わぬ形での2020年3月にベータ版リリースへと向かうことになる。