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対人恐怖症でどん底だった自分が、孤独に寄り添うアプリを作るまで

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2025/08/26

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対人恐怖症だった僕は人と会うのが怖かった。
どんなに親しい友人でも、家族でさえも、顔を合わせると動悸がして、息が苦しくなって、時にはパニックになる。

あの頃の僕は、この世界から完全に取り残されたように感じていた。

そんな自分がなぜ「挑戦者の孤独に寄り添うアプリ」を作りたいのか。

すべてを捨てて旅に出た先で、僕が見つけた「希望」の話をします。

憧れと挫折。ハードワークの果てに

僕は学生の時に一社目の起業をした。こう言うと華々しく聞こえるかもしれないが、苦しくてかっこわるい散り方だった。

大学のバイト先の先輩が起業していて、それにただ憧れて起業した。当時はそこに信念やビジョンなんてなくって、とにかく憧れからの「起業をしたい」。それだけだった。

街コン・婚活イベントのビジネスから始め、飲食店の幹事特化の予約コンシェルジュのサービスを立ち上げ、京都の先斗町で飲食店経営も始めた。紆余曲折を経て、21歳の頃には月の売り上げが1000万円程度になり、いよいよ順風満帆。俺たちは日本を代表する企業になる、と仲間と毎日のように言い合っていた。

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▲19歳:幹事予約サービスのチラシを配っていた日々、150店舗と提携し多くの社会人・学生の幹事ユーザーが利用してくれていた

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▲20歳:鴨川が見える飲食店の経営権を買い取らせてもらい、見よう見まねで飲食店経営を始めた

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▲20-21歳:内装や、設備も見よう見まね。

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▲21歳:1社目の創業メンバーたちといったマリーナベイサンズ。仲間と新しい景色、世界に出会う日々が何より刺激的で楽しかった。

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▲21歳:くそ暑いシンガポールでわざわざスーツを着て酒を飲む、今考えるとなんか青臭くて恥ずかしいけど、それも今となってはいい思い出だ。

ハードワークは美徳だった。朝誰よりも早くオフィスに行き、夜は誰よりも遅く残ってオフィスの電気を消す。家に帰ってからも酒を飲みながら組織図を描く。KPIと進捗に全て目を通し、違和感があるところを全て言語化しチームに厳しくFBする日々。20代で上場するんだ、という目標に向かっていく、その日々自体が刺激的で楽しかった。

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▲21歳:はじめて借りた四条烏丸のオフィス。朝8時にいき、夜12時に帰り、夜中3時に寝る日々を繰り返した。

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▲21歳:今思うと何がこんなに忙しかったのか意味がわからないが、とにかくがむしゃらに仕事をした

ただ、そんなハードな毎日を送っていたら、自律神経がおかしくなっていた。でも、ハードワークには歯止めが効かない。そうしてこじらせた末に、対人恐怖症になってしまった。例え親しい友人でも、会えば動悸が止まらなくて、パニックになってしまう。情けない気持ちになった。

こうなったらもう仕事を続けることはできなくて、会社のメンバーと話し合い、共同創業メンバーに会社を譲渡する形で僕は辞めることにした。

そんな自分の状況を知りながらも、それでも一緒に事業をやりたいと言ってくれた友人がいて、彼と今度は引っ越し見積もりのチャットボットサービスを立ち上げた。ゼロから、ここからまた少しずつやっていけばいいと思った矢先、引っ越し業界はレガシーで対面での営業が必須だということを知った。

知らない人のところへ会いに行って営業する。対面営業は、対人恐怖症の僕には無理だった。当時一番恐ろしいことだったかもしれない。引っ越し見積もりのサービス事業は畳むことにした。

苦しくて、悔しくて、情けなかった。「自分は今、人を巻き込んで事業をやるタイミングじゃない」とやっと悟って、一緒にやろうと言ってくれた友人に恵比寿の飲み屋で謝った。「ごめん。俺には、どうしてもできない」そう伝えるのがどれだけ悔しかったか、今でも鮮明に思い出せる。恵比寿の雑踏の中、自分ひとりだけが取り残されたように感じた。そして、この日から俺は、自分の居場所を探すための長い旅に出ることになった。

すべてを捨てて、旅に出た。

どうせ人にも会えないし、東京にいてもしょうがないと思った。いっそ旅をしようと、キャリーケース一つに全財産をまとめて、それ以外のものは捨てた。行き先もどこでも良くて、とりあえず熱海へ向かった。そこから次はどこへ行こうかと考えて、日本中、ひいては海外を転々とした。

見知らぬ異国の地でも、自分を蝕む孤独は変わらなかった。旅先で、誰とも話さず、食事をする。ホテルに戻れば、窓の外をただ眺めるだけ。言葉が通じない国での孤独は、枯渇した心をさらに深くえぐった。

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▲何度もいったバリ島の夕日

「俺は一体どこまで行けば、この自分から逃れられるんだろう」と、もしかすると、ずっとこのままなんじゃないかと、自分を問い詰めるように生きていた。

世界を変えたい、何かをしたいという気持ちは強かったけど、人に会えば動悸がする。苦しい。街を歩く人々の視線が怖くて、下を向いて歩くのが癖になっていた。でも自分はきっと何かができる人間だって、諦めたくなかった。どうしたらこの状況から脱出できるのかわからなかった。

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▲当時書いていたとある日の日記、文字に吐き出すことでようやく自分を保っていた。

SNSを見れば、自分と同時期に起業した人がすごい結果を出していたり、会社を大きくしたりしていた。心配してくれる友人たちは「お前は天才だ、大丈夫」と励ましてくれたが、それもまたプレッシャーだった。いくら元気づける言葉をかけてくれても、俺には何もできない。すごく苦しかった。このどうしようもない孤独から、いったいどうやって抜け出せばいいのかわからなかった。

リモートワークが、僕に希望をくれた

アジアの国を転々としながら、クラウドソーシングでリモートでできる仕事をして日銭を稼いだ。インドネシアのバリ島にいる時、UI/UXデザインの勉強をしてみたいなと思い、あるプロジェクトに手を挙げた。仕事の受注が決まり、UXデザインのコンサルをしている方とSkypeをつないでデザインの仕事を見よう見まねで始めた。23歳ぐらいだった記憶がある。

彼と一緒に仕事をすることで、毎日できることが増えて自分が少しずつでも向上していることを実感できた。それが孤独を少しだけ払拭してくれた。昨日より今日が向上していないように感じる日々が焦燥感の正体だったんだ、とそこで気づいた。

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▲異国の地の雑踏の中を歩き、自問自答を繰り返した日々

人は自分が前に進んでいないと思う時、そしてどう前に進んだらいいかわからない時、この世界から取り残されているように感じるのかもしれない。

そんな自分に、リモートワークが希望をくれた瞬間だった。
Skypeで顔さえ写せない自分でも、ただそこに仲間がいて、共に前に進む感覚が得られただけで「自分はひとりじゃない」と思えた。この世界に自分が存在していると感じられた。

それからもいろんなことがあり、時間が経って、2019年の夏。もう一度立ち上がれそうなタイミングがやってきた。もう一度、事業を立ち上げよう。世界を変えたい、世界で使われるソフトウェアを作りたい、そう考えた時によぎったのがジャカルタでSkypeをつないでリモートワークをしていたあの時の体験だった。

再度立ち上がった自分が目指したのは、過去の自分のような「孤高の挑戦者に寄りそうプロダクトをつくること」だった。それが人々の日々を前向きにし、人生を好転させるキッカケを生み出せると信じていたからだ。

「 リモートワークで世界を変える。 」

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▲26歳:創業メンバーの家の冷蔵庫に想い余って油性ペンで描いてしまった。(怒られた)

孤高の挑戦者へ。Teracyに込めた想い

リモートワークで機会格差をなくし、そして孤独に寄り添うソフトウェアを作りたいと思った。それから6年かけて開発をし、この夏に正式リリースをしたのがTeracyだ。

Teracyは「誰かと一緒に頑張っている感覚」を届けるコワーキングアプリだ。PCやスマホを開くだけで、仲間の存在や作業状態が見え、必要ならそのまま声をかけられる。無理に話す必要はない。Skypeでのリモートワーク中、彼は言葉を発しなくても、ただそこにいてくれた。その気配が、僕にとって何よりも心強かった。

Teracyが目指すのは、まさにあの時の感覚。会話がなくても、誰かがいる。その「仲間の存在」が孤独を和らげることを、自分自身が一番よく知っているからだ。

今思うに、挑戦する人の孤独は美しい。 そう思う。
きっと挑戦なんかしなければ感じることのない孤独もあるだろうに、なぜ人はそれでも挑戦するのか。 そこには内発的なエネルギーがあって、それはその人の生き方であり芸術、そこにリスペクトを持っているし少しでも寄り添えるような力を持っていきたい。

ただその瞬間に、仲間がいてくれたらもっと挑戦が楽しくなる。 そういう文化や仕組みを、 Teracyを通じて作っていきたい。

ひとりでいても、ひとりじゃない。アプリを開けば、そこに仲間がいる。

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気付けばそこに仲間がいるという前提自体が、孤高の挑戦者にとっての居場所になる日が来ると信じている。

挑戦する日々の中で、ふと「自分はこの世界でたったひとりなんじゃないか」と思う瞬間が未だにある。きっとそう感じる瞬間があなたにもあるかもしれない。そんな瞬間に「自分はひとりじゃない」そう思えるプロダクトをつくっていきたい。

今日本では、フリーランスの約40%が仕事中に孤独を感じているという。そんな個人をエンパワメントできたら、世界は確実に変わっていくと思う。「ただ誰かと同じ空間にいる」という感覚は、思っている以上に、そっと人を支えてくれるはずだから。

僕がそうだったように、あなたにも、一人で頑張らなくてもいい居場所がきっと見つかるはず。

何度も言いたい、孤独は美しい。
挑戦の代償でもあり、一定避けられないことだと思うから。

ただ、そんな瞬間にTeracyがあれば、きっとそれが希望になる瞬間があると信じている。

必ずこのプロダクトを世界に広げる。
1人で頑張るあなたが、 仲間と前に進めるように。


Shunsuke Morii

Founder & CEO

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A serial entrepreneur with multiple exits. Sold LIBASE to a TSE Growth-listed company. Founded Teracy and serves as CEO.

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1人なら速く行ける

でも仲間となら遠くまで行ける

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